
D700
Ai AF Zoom-Nikkor 80-200mm F2.8D ED〈NEW〉
立ち客が出る程度に混雑した429Dで移動し、やってきたのは石見都賀です。道中、すでに太陽の高さと雲行きを心配しており、現実は差し迫ることとなります。
駅から歩いて20分程度だったか、次第に太陽は雲の下に落ちていき、次第になくなる露出を心配していきました。
もう奈落へ一直線。いくら「制限30」の標識だらけの三江線とて、ここでは60km/h以上で通過してもおかしくない区間。1/500secはISO感度設定は1/3と1/2ステップで重ねていき、苦し紛れ、D700の昼行許容としていたISO1600をたたき台としました。
「(キハ120の長さの見積もりは? 左の建物は? 川は? そこの屋根どうするの? )」
立ち位置は線路から離れた車が通れる程度の道路でした。坂道となっていて、線路に対して少しでも動けばナナメの移動となります。初見の場所では選択肢を増やせば増やすほど悪循環です。
「(万事休すかもしれない)」
「(建物マージン確保 川は?)」
「(ここにする)」

D7000
AF-S DX NIKKOR 18-55mm F3.5-5.6G VR II
ここの一幕はあまり記憶がありません。目の前に与えられた条件に対して必死の抵抗だった気がするのです。
夢中で撮っていたとも考えてしまいそうです。
急な作戦変更は冷静さを欠き焦りをもたらし、すべてを振り出しへと運び、当初狙おうとイメージしていたものを取り壊していきました。と申し上げるべきなのか、イメージのズレを修正する能力が単調に欠けており、これは撮り手の練度不足です。
また、ここではD4への主力置き換え計画が浮上するきっかけにもなりました。
今になっての見解としては、
・浜原~口羽間を、三江南線・三江北線の末端同士をつなぐ高規格区間をこのシーンで表現した点。
・中間の区間であるこの駅間を撮るか、北線、南線で複数のカットを稼ぐか。すなわち、『1を得るために3を失うか、不確定の3を得ようがために1をも失ってしまうか』。
・この結果は、翌年の『山陰迂回貨物』の撮影プラン構築に大きく引き継がれることになります。


(下から2コマ共通)
小西六Pearl II RVP
欲しいものが得られずとも、最後まであきらめてはなりません。拾えるものは拾って帰りました。
灯りは人を受け入れる格好を灯していたように思えます。
せめてもの弔いか、セミ判の火力とヘキサーレンズが確実に捉えたのでした。
- 2020/09/09(水) 18:15:17|
- あの日、あのとき
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

小西六PearlⅡ RVP
バスで移動しております。この日の筆者は芸備線で昼頃に三次へ。暑さは相も変わらず、ひとしきりの時間を経ての移動です。
1日1往復の備北交通バスで、三次から国道54号線・県道62号線を経由して作木口~江平駅間の停留所で下車します。
三江線を公共交通機関だけで回る場合では、バスの利用も手段に入ります。手数は根本的な撮影回数。すなわち、鉄道だけでは限度があるのです。この日の午前中も、山陽本線のセノハチにて八本松まで戻らずに芸陽バスで脱出したり、前回の三江線アプローチも岩見交通バスを使ったり、583系ラストランの移動もタクシー代わりに最寄り駅ま利用したり、この年度から撮影スタイルの拡張が始まったようにも思えます。
降りた停留所名がメモになく定かでないのですが、右手に郵便局が、左手に小川がある場所が記憶にあります。
「もうちょっと乗ればよかったか・・・」損した気分は運賃箱の先で得るものとなりました。最終的にこのバスの行先は石見都賀の辺りまで向かうものです。
今回は、もしお時間に余裕がありましたら地図を片手にご覧ください。
撮影目的としては口羽で折り返す428D・427Dを逃さない手は無いため、ここから撮影地の調査を開始。Google MAPにて目星だけ付けていた箇所をと立地を歩いて確認します。日差しが照り付ければ暑い初秋特有の暑さの下、国道を北上して時間をみながら行けるところまで立地を見て引き返し、線路のある対岸へ渡れる「丹度橋」を場所と定めました。
坂を下れば江平駅がありコスモスに目をとられました。1面1線で、ホームの途中から新規に柵が設けられて入れないようになっている以外は、なにか特別に秀でた様子の駅ではありません。小さな佇まいは新宿駅と並べられるれっきとした施設です。時が来るまでの器に敬意が自然と湧きながら、中判カメラの小西六 Pearl IIを使って、ブローニーフィルムの交換を行える程度の余裕を撮影で消化するほど、何か拾っていこうと思わせるものがありました。
切り取ろうと思う画面がいくらでもできるとわかると、D700に、D7000に、Pearl IIにと仕事を振ってしまいそうになります。終始、1発目の三次から来る428Dの直前まで迷っていた記憶があります。
「(なにか動くものを視認した)」
自動車ではない。遅い。目標が現れた事態を受け入れるとともに、結局3台を稼働させるだけの余裕を充てていました。

D700
Ai AF Zoom-Nikkor 80-200mm F2.8D
復路の427Dまで20分の猶予は立地を気にしていたような覚えがあります。
そのほかは特段、拘った意図はなく列車はおまけ。「ここに鉄道を敷いた事実」だけを前面に展開していきました。
呆気のないものでした。乗りたい列車の432Dまで余裕がたくさんあり、道中、降りたバス停の近くにある『川の駅 常清』小休止を挟みながら、隣駅の作木口まで。
そして、漂うように日本海へ。
- 2020/09/08(火) 15:24:24|
- あの日、あのとき
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

D4
Ai AF Zoom-Nikkor 80-200mm F2.8D ED〈NEW〉
昨今の事情とダイヤ改正で、この度ひっそりと定期運用を失った東武350系は、今後どのような処遇となるのでしょうか。
1年前、また2年前、夏至が近くなると栗橋~新古河の築堤へ赴いたものです。無論、夕方の時間帯を走行する東武350系の撮影が、形式の優劣ではなく、被写体の側面から見て面白かったからです。今回は新古河駅から、時間をかけてゆっくり40分ほど歩いて現場へ向かいます。こういった「他を考えなくていい」撮影では余裕をもって現地を目指していくために、ロケハンも敢行できました。
さて、現場に着いてしたことといえば「押し」と「引き」の相談から。135mm以上で狙うのは立ち位置と距離からして必然であり、面の確保はどうしていくか、4両をこれで賄えるか、、、はい、でました。
「Ai-S180mm F2.8があればよかった。」
中望遠レンズは扱い者によって得手不得手と波長が合う、合わないがあるものと筆者は考えます。筆者の場合はもっともよろしいと身が判断するレンジが概ね85mmか180mmなのです。毎度のごとく、180mmが適当と思える現場に当たると物欲が並走してきます。辺りがだんだんと暗くなってきました。
18時58分に通った東武6050系に露出ワークを助けてもらい、うまく白い塗装のディテールを残せるラインをとって極めつけは車内灯。運行図表において、完全な真っ暗にならない段階での走行シーンの撮影としては北限となりそうなこの場所で、確かな勝ちを得た瞬間でありました。
うっすらと、いいえ、明らかに殆どの乗客は杉戸高野台までで降りてしまうのを乗る機会で目にしました。いつ消えてもおかしくはないと考えていたのですが、まさかですね。
もし好きであるならば、後悔はしない程度に自らの意思で動いておく。兜の緒は締めておく必要がありそうです。
- 2020/06/22(月) 22:20:59|
- あの日、あのとき
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

D700
Ai AF Zoom-Nikkor 80-200mm F2.8D ED〈NEW〉
旅行会社を通して、指定の「こだま」を利用することを条件に姫路から小倉までの紙切れを握りしめ、筆者は早朝の東京から青春18きっぷで西を目指します。通学時間帯の静岡を抜け、昼時の大垣を抜け、夕方に差し掛かる魚住で500系新幹線(先発の「こだま」)を撮影しながら余裕時分を見送り、姫路から4時間の乗車時間で小倉。こうして、産まれて初めて九州の土地を踏みしめました。
喜ぶ暇もなく、即座に幡生へUターン。残念ながら目的は撮影にあります。
幡生から乗り換えなしの益田。特急で時間稼ぎもして出雲市。江津へは昼前に着き、また乗換えて石見交通バスに揺られて現場へは先回り。川戸駅から始まります。
2016年初夏のころだったと思います。動画サイトである動画をみて、純粋に「撮ってみたい」と確証になりました。この年度の筆者はメンタルをつぶしており、お盆~初秋は583系が充当された磐越西線の「あいづ」と、防風柵の設置で話題に上がった湖西線の志賀~蓬莱(シガホ)の撮影が精一杯。それでも撮影をまともにできたのは、基礎的な事柄を確実に抑えていたからではと振り返って思います。矢が尽き、刀は折れても拳でまだ戦えるという尺度です。
JR西日本からの「廃止」を意味するプレス発表があったのは同年の秋ごろでした。
行くか、行かないか。手を付けるか、あきらめるか。
島根県は遠く、三江線の撮影プランが実現に至るまでには翌年の3月にまで延びてしまいます。
ここから先は袋小路。キロポスト…
薄日がさしており、キハ120の面の白がやけに目立つ結果を引いてしまいましが、中間駅の「浜原」行表示でくるオーソドックスな走行シーンを抑えたのでした。「今は慌てる必要もない。目の前にある与えられた仕事をせよ」
三江線で思い出せるのは「制限30km/h」の区間がやたらと多いところです。ここも大して速度は出ません。
手を出したからにはもう、あとには引けず。
自分の撮影が走り出した感情を迎え、「早く次が撮りたい」。贈り物にかじりつく子供のごとく。
- 2020/03/23(月) 13:45:43|
- あの日、あのとき
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

D700 ・Ai AF Zoom-Nikkor 80-200mm F2.8D ED〈NEW〉
大学1回生の春休みとでも申しますか。1月末ほどで後期の授業が終わり、4月ごろまでひたすら休みが続いた記憶があります。
当時のデジタル機はD5000を運用しておりました。このころの諸元表としては結果を残す分だけでは申し分なく、きちんと設定し、確実に操作してなんとか容になる程度のもの。それは静物に限ったこと。鉄道を撮るに至り、さらに高度なものとなり慌てての運用も日常茶飯事です。
2011年度の秋ごろより、大学の同期から幾度か借りて使わせてもらったD700や、D7000等で得たフィーリングと短絡的な物理操作。必修の課題で提出が銀塩モノクロプリントであったために運用していた、自持ちのNewFM2とモータードライブの組み合わせ。
これらの影響と変化は次のニーズを求める結果となり、資金の目途と身内の協力で2012年 2月6日付けで自分のD700が入線しました。1代目の
Ai AF Zoom-Nikkor 80-200mm F2.8D ED 〈NEW〉もこのタイミングで入手。なにより、2台目となる新しいデジタルカメラがやって来るのです。
判り切っていたことで、D700は全くもっていないCFカードを記録媒体で使用します。翌日、買い出しついでに上野へ出向き、本機に仕事を与えられる運びとなりました。
「隣に3300形が居るじゃないか」
Ai NIKKOR 50mm F1.4を付けてNewFM2の感覚で操作確認をしていると、帰りの列車を選ぶ動機が入っていたのです。余談でありますが、編成はこち亀ラッピングをしていた3348Fでした。
ここでは、明るいF値でどうなるのか、ISO1600で同じように撮ったらどうなるか、そこから重ねるようにF値やシャッタースピードは何段稼げるのか、上位互換となった92万ドットのモニターですぐわかることの凄さに嬉しさが止まりませんでした。
AiAF80-200/2.8Dも少し試してみたいと思い、青砥で3300形を見送ると、続行でスカイライナーがやってきます。
FXフォーマットを運用するにあたり、APS-CのセンサーであるDXフォーマットに慣れていた身の弊害としては、焦点距離が等倍で出てしまう点があり、承知の上というものの射程が稼げないもどかしさがありました。モノは新しくとも、使用者がもつ感覚はD5000のため、いま切り拓いてできることを探してダイナミックAF21点 + 1/20secで面を振る手段をとったようです。

まだ見ぬ領域を目指して。あれから8年が経過いたしました。
本機は、倒れる度に幾度の修理と2016年のオーバーホールを経て、未だ現役で運用しています。
それは主力をとうに譲った静かなものでありますが、数えて4代目の旗艦機であるD850でも命を預けることが憚られる場面で、要として9年目を護っていくことでしょう。
- 2020/02/07(金) 14:55:05|
- あの日、あのとき
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
次のページ